先日、もんちゃんが「自分を愛するということ」を聞いて何を思い浮かべるかについての答えとして、「自分を赦すことかなぁ」と言っていた。

それを聞いて、先日あったことを思い出して、もんちゃん達に話した。
そのことをラボ内のブログにも書いておきたいと思ったので、ここに書こうと思う。

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先日、姉とTDL(東京ディズニーランド)へ行った。
姉と二人で出掛けることは、本当になかった。(この26年間で、過去一回くらい!)

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姉妹揃ってめちゃくちゃ幼く見えると思うのだけれど、左の姉はこれで28才で私は26才。。(笑)
(しかも姉は最近年確をされたらしい...。)

それは置いておいて、つい2~3年前位までめちゃくちゃ険悪だった私達姉妹のTDLに二人で出掛けるに至るまでの話をシェアしようかと思う!

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私は、姉に対しての酷い態度を未だ赦せずにいた自覚があった。
それがTDLへ出かける頃には、自責の念が和らいでいて、自分を赦すことへ繋がった気がした。

自分を責め続けた姉への酷い行いが、一体どれを指すのか、自覚があるが故に明確におぼえている。

一つは、学校でイジメを受けて、対人恐怖症・チック症となり不登校になった姉へきつく当たってしまった当時小学5年生の私の態度だった。

二つめは、姉が引きこもりと転職を繰り返していた20代前半の時期、姉の自殺未遂に繋がってしまった当時の姉に放った自分の発言だった。
   
   
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遡ること14年前、

現在26才の私が11歳の頃、姉が東京都練馬区の公立中学校にてイジメを受けた。
背景としては、同じクラス内のいじめられっ子と話していたら、巻き添えになったよく聞くいじめだった。
それがキッカケで、姉は学校へ行けなくなってしまった。

かたや小学5年生(11)の私は、小学二年生で転校してきた東京の小学校で仲の良い友達ができ、楽しく過ごしていた。
一緒に卒業して、中学校へ行っても友達と繋がっているであろう未来を信じていた。

転校は親の仕事の都合で2〜3年に一度していたものの、予定より転校が早まり、東京の小学校で卒業ができないことが決まった。

それから私は姉に対して
「普通の姉が欲しかった。」
「なんで学校へ行かないの?!」
「姉のせいで、ここから早く引っ越すことになった」
と怒りを露わにして、喧嘩をする度に不登校のことを持ち出して、姉を責め立ててしまった。


周りの友人は、"ふつう"の兄弟がいて、"ふつう"の愛に溢れているように見えた。
姉と買い物に出掛けるクラスメイトの姿をSNSで目に入ることで、自分にはそれが無いことを思い知らされるようで悲しかった。
"ふつう"に学校へ通っている兄弟がいる話をされることが、辛かった。

なぜ私には、それらが手に入らないのか分からず、理解に苦しんでいた。


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結局、私が小学5年生の三学期のとき埼玉県への転校が決まった。
やるせなさを抱えながらも、埼玉県の小学校・中学校へ通学した。

埼玉県の学校でも、姉は行けて保健室登校で、学校へ行けない日々が続いた。
姉が中学3年生の年に、私は中学1年生だったので同じ学校へ通っていたが、同級生は私の姉を見たことがなかった。
だから、姉は居ないことになっていた。(していた?)


私が中学生〜高校生の頃、家に帰ると姉は部屋にこもりきりだった。
部屋でゲームをしていて何を考えているのかもわからなかった。

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時系列は遡るが、幼少期は姉とよく遊んでいた。

昔は、姉のほうがよく友達と外へ遊びにいく社交的なタイプ、私は家で一人で過ごす内向的な子供だった。

昔は、姉の好きなホラー作家の本を何冊も読んだり、姉の遊んでいたネットゲームを教えてもらって同じようにやっていたり、ホームページ作りをして遊んだりしていた。

そんな姉は、いじめを受けてからというものの、家族と話すことはめっきりなくなり、家の中ですれ違っても話さず、姉は部屋に引きこもってゲームをする日々が続いた。
定時制高校へ行ってからも、姉は変わらず、卒業後も職に就いては家に引きこもり、というのを繰り返していた。

あの頃の姉が、いじめをキッカケに同時に居なくなってしまった感じがした。
引きこもって、家族と会話をしなくなった姉を見れば、もう昔のようにはなれないことを痛感して、悔しさだったり悲しさがあったのだと思う。


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時は過ぎて、姉26歳頃・私24歳頃のとき。

最寄りの駅から自宅まで車やバスで10分だった。いつもは両親のどちらかが駅まで迎えに来てくれることが通常だった。

しかし、たまたま、一度だけ姉に迎えを頼んだことがあった。

すると、迎えに来てくれた後、社内で口喧嘩になり、姉妹喧嘩ではよく言っていたのだが「◯ねば良いのに」と勢いで姉に言ったことがあった。

姉はそれを真に受けて、「今から◯ぬから」と車のスピードを上げて橋の上に走らせようとしていた。

さすがに焦りを感じたと同時に、私も乗せて一緒に死のうとすることに心の底から悲しくなったと同時に怒りを感じた。

私だけ下ろすように強引に言った。
そして私だけ下ろして、姉は深夜に車でどこかへ行き、母はそれを車で追いかけた。

私と弟は、姉と母が外に行った深夜に家の中で「父親といい、姉といい、この家やばいよな、なんでこんな家に生まれたんだろうな」と二人で憂いていた。弟とそんな話をしたのは初めてだったと思う。

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自殺未遂的なことが起こってから、それからは私と姉は話すことが無くなり、姉に車で迎えを頼むことなど一切しなくなった。

それから沈黙が続いたが、1〜2年が経ち、姉といつの間にか徐々に話すようになっていた。

それから、徐々に話すことも増えてから2年ほど経ち、姉に誘われて出掛けたのがこの間のTDLだった。
口で直接謝罪を伝えられてはいないが、今の私が姉にできる精一杯は、一緒に居ることだと思っている。

姉から誘われたので、誘いに乗って一緒にいることがせめてもの償いでもあり、自分への赦しを求める行為でもあった。

あとは、何より何だかんだ幼少期も長いこと過ごしてきた姉のことはどこか揺るがない信頼はあり、気がラクな存在だった。

本当に色々あったけど、今の姉が元気になって本当に良かったと思う。

今の姉は引きこもってはいなくて、2年ほど前から仕事を続けられていて、スノボ仲間ができてから、週二もスノボに出かけるアウトドアになっていた。(笑)

久しぶりに会ったときに狼みたいな髪色になって、見違えたパリピになっていた衝撃は忘れられらない・・。
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激変ぶりにはじめは驚いたが、姉は実は根っからのいわゆる陽キャラだったと思うとすごくしっくり来る(笑)
そのくらい、私なんかより数倍社交的で、未だ驚いてる!

夏頃には、姉はダイビングのインストラクターの資格を取りたいと言って仕事を辞めて沖縄に行く予定らしい。
未だに信じられないくらいの変わりっぷりだけれど、あの時と比べて生きやすくなってよかったなぁと思う。


走り書きで訳が分からなくなるような文章だったかとは思うのだけれど、読んでくれてありがとう。

今こうやって自分のことを改めて振り返って自己理解を深めようとしているのは、自分の怒りについて知りたいという気持ちもあったからだった。
今まで感じてきたどこにぶつけたら分からなかった"怒り"の解像度を上げたいなと思ったことも、ブログを書いた動機としてはある。

もし読んでくれたラボメンの中で、「自分を愛するということ」が何なのか考えてみたりしたら、シェアしてくれたら嬉しいな!