ある貧しい男がいた。

男は、生まれた国は貧しく、家も貧しかった。

だから、たくさん働かなくてはなかなかった。

しかし、生まれた町も貧しく、仕事がなかった。

だから、出稼ぎへ行くことにした。

お隣さんも、出稼ぎに行っていた。

まちの人間は、みんな出稼ぎに出かけた。



出稼ぎ先へきた。故郷の町より、犯罪が多いようだった。



男は、同郷の友人から大きな仕事があると聞いた。

力仕事だった。

まずはあってから仕事を任せるかどうか決めるといわれた。

取引先の人は、過去に仕事のお金を盗まれたので、次に仕事を頼む人を決める際に警戒していた。





大きな仕事の取引先の人は、男の生まれ故郷を聞かれた。

南の方、といっても話が盛り上がらなかった。

仕事がたくさんほしかったので、たくましく力持ちだと思われたかった。



そこで、男は思いついた。



九州の男は、力持ちの人の方が多かった。

男は「九州の男は、たくましく力があり、人情に厚く信頼できる人間が多いんですよ。」と大げさに言った。

そして、話が盛り上がり、取引先の人は、男がどんな人間なのかがわかり、安心して仕事を任せられるようになった。

これが広まり、九州の男性は仕事に困ることがなくなった。

時は経ち、九州の男たちの多くは、力仕事をするようになった。のちに、九州男児という名前がつき、いろんな人がそう呼んだ。



あまりにも色んな地方からいろんな人がくるので、どんな人なのかを分けていかないと、人と話すことが難しかった。分けることは、分かることだった。
どこの馬の骨かわからない人間を容易く信頼できるほど、安心できる世ではなかった。故に、安心できるか否かを分かつ必要があった



だから、目の前の人間が「どこの、だれで、どんな人なのか」を知る必要かあった。

でなければ、仕事ができなかった。自分がだれであるのか、と仕事をすることは一体だった。



だから、九州男児などの人間をある程度一くくりにまとめられる言葉が生まれた。

一くくりに理解をしようとした。

それが時間が経ち、九州男児は、頑固者だとか、男尊女卑だとか、生きるために必要な武器であった色眼鏡は、偏見の色眼鏡へと変わっていった。


.......(つづく?)



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ある日、ふと何で九州男児という言葉ができて、九州の男はこうだという見方をしてしまうのだろうと考えていた。

何で人を一括りにする言葉が生まれたのか、考えてみた結果できた物語。

自分を含め、つい一括りに人間を見てしまいがちな、そんな色眼鏡をどうしたら認知していけるだろうと考えていたら、思いついたお話。

「日本人は、協調性が高く、周りに流されやすい」とか「私大を出てい手親がお金持ちだから、生活に余裕があったのだろう」とか、どうしても自分の経験則での尺度で、世界ないしは人間を見てしまいがちな自分自身に警報を鳴らしたいと思った。
そんな自分自身やそういう社会について考えていたとき、この話が思いついた。📚

  

   
  
おわり