昨夜は、高野山で出逢った大阪に居る友人と話していた。彼女と話していると、話している内容で割といつも良い絵本ができる予感がする。
私と彼女が感じてきた世界観を皆と分かち合いたい気持ちになる。
高野山の友人の中に絵を書ける子もいたので、3人で絵本をいつか創りたい。それも夢の一つだなぁと思う。
さて、昨日は彼女と話していて「オープンダイアローグをなぜやるのか」という理由が明確になったので、昨日話したことを書いてから、オープンダイアローグについて書こうと思う。
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「怒りや悲しみに囚われなくなったら、やっぱり退屈になった」という話
「怒りや悲しみに頭(心)が支配されなくなったよね。反応しなくなった!」という話をしていたのと、それはそれでやっぱり暇だよねーという話をしていた。
けど、不思議なことに怒りな悲しみに頭が囚われていたときも、「怒りや悲しみに囚われる時間が消えていったら、暇で退屈なんだろうな」とはずっと予感をしてた。故に中々変われなかった感じがあった。
けれど、諸行無常で、現状を保つことなく状況は移り変わっていった。
それは良いことでもあり、悪いことでもある。
絵本を創りたいと思って、少し文章を書いていたので、下に書かせてもらおうと思う📝
傷が治りきっていなくて、痛みから悲しみや怒りに頭が支配されてしまったとき、ヒマな時間がなかった。
その傷の痛みをどうしようかと、四六時中頭を悩ませていたから。
時間が経って、痛みが良くなってくる
すると、ヒマになってくる。
やっとあの傷の痛みが良くなってきたのはいいことなんだけど、今度は退屈な時間というわるいことがくる。
すると、傷の痛みがあることはわるいことだったけど、退屈を感じなくなることはいいことだったんだと気づいた。
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満ち足りた人なんていない
「これまで出逢った人の中で、すべてが満ち足りている人はいなかったんよなぁ。」と友人が言った。
「皆、どこかしら足りない気持ちはあるよなぁと思う。欲は尽きないというか。けど、それは私の周りだけを見てるからそうなのか、まだそういう"満ち足りた人"に出逢ってないからなのかなと思ったりする。」
「けど、その満ち足りた人っていうのも"足るを知る"を知った上で、満ち足りた状態を味わえてる人なんじゃ?」
"足るを知る"ということを知りながら、満ち足りた状態を楽しめる状態にはなれるよなと思った。
ずっと足りずに上限を知らない状態なのではなく、上限の"足る"を知っている状態。
これは、雲泥の差があるなぁと思った。
少し前に「杜人」という環境再生医の映画を観たときに残った言葉がある。
「植物を含めた生命は、常に満たされていない。むしろそれが自然なこと、共生することが自然だから。」
経済的に活発だった頃に、商売としての林業でなく"環境再生医"を選んだ人の哲学は、全てに通じるところがあって、とても響いた。
足りないことは、デメリットだと認識があったが、むしろ足りていないから共生できるのなら、メリットだったのではと思った。
大多数の林業は、たくさんの木を植えて、たくさんの木を切ることがお金になるので、そのようなやり方をしていく。
けれど、この当然のような林業のやり方は、環境破壊に繋がってしまう、といったざっくりとこんな映画の内容だった。この環境再生医は、その逆を行っていて、周囲の林業の人からはずっと馬鹿にされてきたようだった。
しかしながら、上限を知らない「"足る"を知らない」資本主義社会の中で、自分の信念を貫いてきた人の哲学から生まれた言葉は、重みが違った。
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オープンダイアローグは、ずっと分からなかった問の答え
私がなぜオープンダイアローグをやるのか、という理由が割と明るくなってきた。
私は、天職に思えて、プロダクトにもビジョンないしは自分の人生が重なり、一生その会社にいようと思っていた場所が、人間関係の歪で失くしてしまった。怒りや悲しみに任せた結果、関係が絶たれてしまった。
そのことが、家族同然のように感じていたチームが半壊したことが、あまりにもショック過ぎて、わたしはずっと「どうしたら、あの失敗を繰り返さずに済んだのだろう」と辞めてからずっとその問を考えながら行動していた。
ずっと、この答えがわからなかった。
どんな自分でいれば、ああ組織が半壊することにならなかったのだろうとか、どう伝えたらあんなことにならなかったんだろうとわからなかった。
一時は、ビジョンの不一致が原因だったんじゃないかと思い、100BANCHの縁で、スナックルという新規事業サービスをやってみる中で、検証していた。が、ビジョンの不一致ではなさそうだということがわかった。
しかし、オープンダイアローグを知ってから、参加してから、「これだ!!」と思えた。
「あの時オープンダイアローグのような場があることを知っていて、それを実践していたら、きっとうまくいった!」とやっと最善の解決策を見つけられた。
それから、私の無駄に感じていた失敗が、無駄にならなくて済んだ。
この2~3年間を振り返れば、その問が頭から離れずに、ずっと私はあの答えを探し続けていたんだなと腑に落ちた。
この話を友人にすると、「不屈の精神だよね」と言われて爆笑した(笑)
なぜなら、私がいた頃のシルタスのWantedlyの採用ページには「不屈の精神を持つ者募集!!!」とあったからだ(笑)
その通りの奴が所属していたんだなと我ながら面白かった😂
高野山の友人を集めてオープンダイアローグをしたらそれもまた話が深まって面白そうだなぁーと思ったりした。
そのくらい気軽に広げられるものにしたいなとも思ったのでした。🌕