「皆、主人公じゃないの?」


「主人公になりたい」とルームメイトが言っていた。

「"『主人公になりたい』と言ってる主人公"じゃん。」と、"空があること"と何ら変わりないことのように思った。

「主人公でない」という感覚、モブキャラのような感覚があるようだった。

ルームメイトが「主人公になりたい。」と言っていて初めてそういう気持ちを持つ人がいることに気づいた。多くの人が、自分が主人公だと当然のように思って生きていると思っていた。
やはり、人間は主観でしか世界を見られない限界を感じた。

そのルームメイトが観たいと言って観に行った映画が、「フリー・ガイ」だった。ゲーム内のモブキャラが主人公の映画だった。
これはめちゃくちゃ面白かった👏



















なぜコンテンツに触れるのか


物語を消費するのは、自分の人生/ストーリーに限りなく近い作品を見つけ、自分の人生を受容するためではないのだろうか。
私は、自分の人生を前進させる為にストーリーに触れるのだと捉えていた。












どんなコンテンツより、自分の人生がおもしろい


私は、自分の人生にユーモアを感じた時に「漫画のようだ」と思ったり、憤って怒って復讐を誓ったりしたこともあって、「映画のようだ」と思う。

どんなに面白かった映画やドラマより、自分の人生の面白さに敵うものなどないと思う。面白みの総量(?)で言えば、圧倒的に後者だと思う。

なぜなら、自分の人生なら、これまでのことを誰よりも知っていて一番興味が持てるから。舞台裏のメイキングストーリーだって、全て観られる。
それに今後の選択によって、これから軌道修正はいくらでも効く。
作品の物語と違って、死ぬまでは終わりがない。
続編はいくらでも創ることができる。

こんなに面白い作品を自分の手で創っていけることほど、面白いことはないんじゃないかと思う。

作らされているのではなく、創るから面白いのかも知れない?
人生が操作され、されるがままに作らされるものだとしたらすごく辛いものなのかもしれない。
創りたいけど、創れないのも辛い。(これは、自分自身も見に覚えがある感情だ)

そんなことをぐるぐると考えていて、「早く、ルームメイトも『主人公だったんだ!』と気づいたらいいのになぁ」と、私は密かに心待ちにしている。✍️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️️

ルームメイトは、主人公であることに気づいていないだけにしか見えないので、その日は来るはず!