思い出せば胸がギュッとなるような、そういう思い出を、一日に一度は大抵思い出す。

私には多くの後悔があった。
"会社の社長と自分自身を変えられなかったこと"
"生きづらい社会を変えられなかったこと"
...など、数え切れない。

このブログでは、主に過去に起きた、所属していた会社での一連の労働関係のトラブルについての出来事を話せたらと思う。

結論から言うと、このブログでは
「人は変えられない、変えられるのは自分だけ」
ではなく
「自分を変えれば、周りは変わっていく」
ということを学んだ話をしていきたい。








シルタスで変えたかった社会


私は、シルタスというヘルスケアアプリのスタートアップのベンチャー企業で、昔から変えたいと願っていた変えたいものを、変えられなくて挫折してしまった。
(少し説明すると、シルタスは、購買情報を栄養素に自動変換するヘルスケアアプリです。)

"摂食障害で生きづらかった社会を変えたい"
"生産と消費の距離を近づけたい"
"食品の流通を、より豊かなものにしたい"
"食品ロスのない社会にしたい"
"適正価格で食品が流通する社会を作りたい"
"給食業界、栄養士の労働環境も変えたい"

等など、過去の体験や、栄養士だったときに感じたことも踏まえてこんな信念を持って、シルタスに居た。
ヘルスケアアプリが世に広まれば、健康志向が高まり、この社会は叶うと信じていた。(今も信じている)

そんな信念を持った私は、私の労働環境(雇用形態や給与)を他社の知り合いが見直し、自分の労働環境を客観視したことがきっかけで、この信念を持つ私が崩れていくことになる。

実態としては、月約8万円でフルタイム/インターン(業務委託契約)として雇われていた。
このことを当時週一で勤めていた100banchで知り合った他の会社の方に相談した。

すると、「この給与体系・契約形態はまずいよ。」「いいように利用されてる。」「やりがい搾取なんじゃ?」と言われ、「社長は本当は評価をしてくれていなかったのかな」「必要とされていなかったのかな」と感じて、号泣してしまった。
悲しくて悲しくて、思い出すといつも泣きそうになる。
この思い出が辛すぎて、この感情をまた感じるくらいなら、無関心のほうがマシだと心底思った経験をした。

ただ、Slackでのやり取りが限界で、社長と直接話したら号泣してしまうから会えなかった。更に喧嘩別れのような形になってしまった。



今思えば、社長がケチだったのも、経営のことに必死だったからだと想像できる。
当時の私はその想像が足りなかったと思っている・・・。
あのとき、皆の前で号泣しても周囲の意見や自分の頭の中の想像(妄想)で完結せず、直接社長の真意を聞くべきだったと反省している。











3年以上経て、やっと気づきを得た


それからは、やりたいことも興味のあったはずのこともだんだん薄れていき、空っぽになっていったように感じた。

何かを変えようとすることをやめようやめようと理性が働いて、そもそも「変えよう」なんて思わなくて済むように、しばし人にも何にも関心を持たないようになったりした。

(高野山のお寺に行ったときにブログを書いてたときの私が、まさに無関心状態だった)
https://lab.corkagency.com/blogs/ca16a4a4e7f7

「大きく言えば社会、中位で言えば組織(会社やコミュニティ)、小さく言えば身近な人間関係、もっと言うときっと自分自身」昔も今も、この全部を変えたかったのだと思う。

今までずっと"変えられなかったこと"に後悔を感じてきたけれど、今思えば「"変えようとしたその方法"が誤っていたのでは」と最近振り返って思ったりした。

3年以上経って、やっと気づきを得られたような感じがしている。










自分の外側を変えるということ
自分の内側を変えるということ


私は、社会ないしは周りの人を変えようとし続けていた。

「"外側(他者)"を変えれば、変えられる」と信じていた。
(※フランス哲学では、自分以外のすべてを"他者"と表現するらしい。)


□外側を変えるということ
・上司や同僚に気を遣い、ミーティングで傷ついている様子の職場の雰囲気を良くする。
・ランチを作り、皆でランチを食べる機会を作る。
・周囲の期待に答え続ける。
・不本意に感じることがあっても、相手を不快にさせることは言わない。
....など

だけど、きっと外側を変えれば変わることに限度があったのだろうと思う。限界が来て、目に見えない内側を変えざるを得なくなったのに、きっと会社を辞めた3年前当時の私は"内側"の変え方がわからなかったんだと思う。

□内側を変えるということ
・傷つくことを極端に恐れない心を持つこと
・NOを言いたいときにNOと言える心を持つこと

きっと、こんな所を矯正していくことが私には本当は必要だった。







自分を変えれば、周りは変わっていく


「人は変えられない、変えられるのは自分だけ」

という言葉を、悩んだときに度々もらってきたし、周囲でもよく言われていた。

だけど、これまでこの言葉を私は咀嚼することが難しかった。この言葉では、変えられなかった過去の私が浮かばれなかった。

正論だと頭では解りつつも、
「そんなこと言っても変えたかったものは変えたかったんだ!!!」と思っていた。


だけど、この言葉は、言い換えることができるのではと思った。

「自分を変えれば、周りは変わっていく」
と言い換えられる・・・?

「人(社会も周囲も)を変えたいから、自分を変える。」
これならしっくりくる。


私の過去の経験から反省すべきことは、きっとこれなんだと思った。

・・・

これまでの失敗から反省を経て、
「一度壊れた関係性を変える可能性は、未来にはある」と知りたい。
きっと私の願いの一つは、これだ。

もっと言うと、「もう一度縁を繋ぎ直したい・縁を繋ぎ直せる自分/何かを返せる自分に変わりたい」と思っている。

だから、オープンダイアローグをやっているのだろうなぁとやっと言葉にできた気がする。

これまで、会社の社長に限らず、大切な人ほど傷つけてきてしまったけど、それを挽回できる未来にしてけるような自分に変わりたいと願っている。