もんちゃんが前にラボ内のブログが減っていて寂しい!と嘆いていたのが引っ掛かっていて、書こうと書き始めたはいいものの、最後まで書けずに"まとめなきゃ"と思ってしまって中々投稿までいかなかった。

完成なんてしてなくてもいいのに、勝手に頭でそう思ってしまう!
未完成のブログを上げる勇気が足りないなぁと内省をしたりした。

なので、手始めに高野山の寺院で働いていたときに考えたあるお話をシェアしようと思う。(笑)
すでにまとまっているのでこれなら投稿できそう✌

高野山で働いていたメンバーで定期的にやっていた毎朝奥之院を早朝四時半頃のウォーキング部で自分を振り返ったり、皆のこれまでを振り返っている中で話していたら生まれたお話!

良かったら読んでみてね!

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素数が割り切れるのは1ないしは、その数字だけ。(11,13,17など)
1だけは大師様や自然そのものを表すため、17の孤独は癒やされず17は理解者を求めて17をさがし続ける。

「17を見つけた!」と思える出逢いがあった。
だが、その17に思えた人は、実は13だった。近い素数ではあるのでこれまでより理解されたと感じたものの、期待を裏切られた感覚があり、13と17は決別してしまう。
だが、17は後に、この世界には一つとして同じ数字は存在しない事を知る。


17は、他の数字と比べて割り切れない分、他の数字に理解してもらう瞬間は少なかった。
17は、他の数字と比べて理解してもらえないことが悲しかった。

だから、数字を生み出した人間を憎んで生きていた。

だから、17は「いつか自分を"完ぺきに理解してくれる"人がいる。」とひとり孤独に思い描いていた。

だけど、そもそも"完ぺき"なものなどこの世には一つとしてなかった。
"完ぺき"なものも、数字も、人も、存在しない。
宇宙だって、いつでも未完成だった。

一分一秒変わるごとに、私たちの体は作られ続けている。
だから、唯一無二の存在でしかないのだ。
そのことを、17は理解されずに孤独だった分、早めに気づくことができた。
これも、17が孤独であったから、「自分みたいな素数のことを完ぺきに理解してもらいたい。」と強く願ったからこそ気づいたことだ。

一分一秒で私達の頭の中も、考え方も変わりゆくものであるから、私達は常に唯一無二の存在である。
つまり、完ぺきに理解してもらうことは不可能だ。

だから17の素数は、自分のことを理解できるとすれば、素数自身(自分自身)だったことを知った。
だって、今までずっと一緒に生きてきたのは素数自身でしかないから。

12や14は割り切れる分、周囲に理解してもらえることのほうが多かった。
だから、「他の数字に理解してもらいたい。」と強く願うことはあまりなかった分、自分自身が唯一無二の存在であることに気づくのが17より遅くなった。