親との確執とは、どんな形であれ、誰もが持っているものだと思う。

そして、そこには当人にしかわかり得ない、感じ得ない唯一無二の苦しみや痛みがあるはずで、他者なんかがちょっとやそっとでは立ち入れないものであり、立ち入ろうとしたところで解決などし得ないもので、結局は当人が解決の糸口を見つけていくしかないものであると、私は認識している。


かくいう私も親と確執のある(あった?)その一人であるから、今この文章を書いている。


   

 


「子供は親を選べないしね!」

「なんで離婚しないの?!」


喧嘩の真っ只中、殴られた後に、父親へ吐いた言葉。

これは、当時高校生の私の抱いた率直な疑問だった。

これを、怒りの勢い余って親にぶちまけたことがある。


本心ではないと綺麗事を言いたいところだが、紛れもなく当時の私の本心だった。


そんな、両親に長く憎悪に近い感情を抱いてきた自分をいつまでも肯定できず、心の奥底ではきっと自分が物凄く嫌いで、いつまでも無くならないと思わされるような"心のしこり"があったように思う。



...



父親や母親のことを、後ろめたさや心のつっかえなく他人に話せるようになったのは、ここ1,2年だった。(現在25歳)




それまでは、「なぜこんな両親の元に生まれてしまったのだろう」と後悔に苛まれる日々無くしては、過ごすことが困難であり、他人に話すことは億劫で、うまく話せなかった。


なぜなら、過去の親からの自分への接し方を思い出せば「自分が生まれたこと」を悲観したから。

憂鬱で、思い返すと胸につっかえを与え続けてきた記憶が蘇り、フタをしてないことにしている日々が長くなっていた。



...



私の父は、航空自衛隊で、防衛大卒業の幹部候補生だった。エスカレーター式で、幹部になったような人間だった。人の上に立ち、人を指図してきたから、自分の子供のことでさえ平気で殴れるのだろうと思っていた。


自分と同じくらいの年齢(20代)の父親に、やりたいことなどはなかったそうだった。

偏差値60ほどの公立高校にいた父は、一浪して青山学院大学などの私大や、防衛大に合格したそうだった。

当時は、「大学で遊ぼう」と思い青山学院大学等の私大へ行こうかと考えていた。


そんな父に、父親の父(今は亡き私の元自営業の祖父)は、当時の浪人生だった父親の目の前に、四年間分の札束を出したそうだ。

「これで、行きたいとこにいけ」と。


そこで、父親は四年間の私大へ「遊びに行こう」と少しでも思っていた自分を思い直し、通えば給与をもらえる防衛大が最適解だと答えを出し、自衛隊の道を選んだそうだった。


だから、父には、やりたいことは特になかった。

考えたこともなかったそうだ。


きっと、そういう時代だった。


やりたいことを持てないような時代だった。

今思えば、社会に合わせたほうがうまく生きられる時代だったのだろうとも理解できたりはする。


...


だからか、私が中学生の頃から 「やりたいことがあるから、この学校へ行く」といった言動に、父親は驚いたそうだった。


そんな私は、両親の反面教師で生きていた。

母親がDVをしてきた父親と別れられないのは、女性が経済的に不利である時代に生まれ、ジェンダー差別により、"自分らしく"生きられなかったからだと思っていた。


一方で父親も、役割ばかりを求められる時代に生まれ、"やりたいこと"を考えられる余裕のない時代に生まれたから、その不満を妻子を殴ることで解消するようになり、結果"自分らしく"生きられていないのだと思っていた。


(※ここで言う、"自分らしく"生きるというのは、自分自身が心から納得できる選択をして、生きられているということ。)





私は、ずっと、両親が"心から納得していないはずの選択"をしていること"に遺憾があった。


だから私は、両親の反面教師で「自分らしく生きたい」とか「自分が心から納得する選択をする」ということにこだわり続けてきたのだと思う。


現に、「自分らしく生きられていない」と感じると、すぐに目の前のことをやめたりしていた。



...




「自分が自分で納得する生き方ができていないから」「自分自身に不満があるから」DVや他に八つ当たりをしているのだと、本気でそう思っていた。


それはそれで、ひとつの"正解"ではあったと思う。


だけど、もう一方では、"そうせざるを得なかった"という両親の事情や過去があることに私は、しばし気付けずにいた。(気づきたくなかったのかもしれない)


生まれた時代の異なる平成生まれの私には、到底実感レベルでの理解などできないような、当時の昭和生まれでバブル崩壊後を生きた人間の内なる葛藤や感覚などは、私にはきっと死ぬまで理解できないかもしれない。


「実感」や「感覚」を得るということは、そういうことだと今の私は、心から思う。


...  


私は、自分の両親や今の職場での出会いを通して、


「生まれた時代の異なる人間の、実感レベルでの理解など到底無理。」だと知った。


「理解などできない」という前提に立てば、「相手を理解しよう」という視点を持てるものだ。


「理解ができるはず」という前提にいるから、「いつか理解できるはず」と、叶うはずのない「淡い期待」を抱き、叶うことなく失望する未来を迎えるのではないだろうか。


    


    

結局、書いていて何が言いたいのかはよく分からなかったが、きっと私は何か言いたいというよりも、「考えた軌跡をシェアしたい」のだろうなと思う!


長々と読んでくれてありがとう(笑)

良き夜を🌃🌙