そう問われたとき、間髪入れずにスッと出てくる答えはきっと、"正解"なのだろう。
私はそれが、スッと出てこなくて、当時答えられなかった。
『本心では何を求めているのか』が分かりかねたから。
書くことも、「好き」かどうかわからなかった。
ゴハンを食べることと同じような感覚で"書いてしまう"といった感覚で、「好き」とはまた異なる「習慣」といった言葉で表すことが適当な気がしていた。
自分の「好き」がわからなかった。
だから、自分の本心からの「好き」を知りたいと去年のはじまりから切に願ってきたと思う。
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■「書くこと」でしか、自分を表現できないと思ってた
「好き」について考えれば考えるほど、
"自分がどれだけ自分をセーブしたのか"ということに、如実に気づく。
私の場合は、それが"ダンス"だった。
ダンスに5年ほど通っていた私は、ダンス留学にも興味があった。踊っていても、人が踊っているのを見るのも、不思議と心地良いダンスに魅了された。
今思えば、自己表現欲が満たされていたのだと思う。
だが、「自分には周りと比べて才能がない」と決めつけたことがあった。
周りの子の感性の鋭さや、振り付けの覚えの速さや、テクニックが自分にはそれらの才能が欠けているように感じた。
ダンスが好きだったから、"欠けている自分"が許せなかった。
わたしは、ダンスが心から好きだったと思う。
だが、好きだから故に自分が自分に対して「ダンサーは天職ではない。」と感じた瞬間は辛かった。
「自分で自分の限界を決めていた」と、今となっては意味づけできるのだが、当時はそれが"真(まこと)"に思えた。
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■人は、皆「自分を表現したい」と思ってる
心の奥底では、そう思っていた。
けど、自分自身が足かせを自分につけてしまっていたのもまた"ほんとう"だろう。
わたしの表現方法は、"書くこと"だけだと、これも"ほんとう"に思っていた。
だけど、それは自分で狭めていただけだった。
これからは、自分の表現したい方法で表現したら良いと前より思えた。
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「お金が充分にあって、働かなくて良いなら、なにをする?」
今は、この問に答えられると思う。
「何でもいいから書いて表現したい」
「心地良い音楽で踊りたい」
「本で好奇心を満たしたい」
数年前は、答えられない質問も、しばらく時が経てば、答えられるものなんだなぁと思った。
あなたなら、なにをする?