きのう、マーチが企画してくれた「sf事例を語る会」に参加して、頭の中にずっとあった問いについて考えたことを、ここにシェアしようと思う。




私が考えていたテーマは、タイトル通りだ。

これは、私自身が自分に対してよくおもうことだ。



結論から言えば・・・


短所を短所としか受け取れないのも

長所と短所が表裏一体だと信じきれないのも

「捉え方に偏りがあるからなのでは」と私は考えたりする。




私自身、自分の資質を見ていち早く思うのは、やはり「悪い面が目につく厄介な資質だ」という気持ちだ。


内省にも長所があるのは頭では理解できるが、私自身デメリットを感じてきたことのほうが、きっと多いからだ。


体験が、捉え方に偏りを生じさせ、結果的に"悪いところ(短所)"だと捉えることにつながるのではないだろうか。



【捉え方に偏りが生じるのは、体験に基づくからなのでは】


ほんとうは、長所も短所も両者存在している。

けど、たまたま"短所"と感じる体験が多かったとき、その資質を「〇〇(自分の資質)は、短所だ」と捉えざるを得ないため、結果的に短所認定をして、自分の自意識の中で認知してしまうのでは、と思った。




・・・



ここで

私のTOP1,2の資質と、本をもとに、その資質を平たく説明を下に記していく。


1.個別化

無意識に人それぞれの個性を感知していて、人それぞれの個性を見極めて、良さを際立たせる能力がある。


2.内省

考えることが好きで、考えることが元気の源。一人の時間も好きなひと。自分自身にいろんな問いを投げかけて、自分がそれぞれの回答を検討する。



SFの本では、自分の資質に対して、最後には前向きになれるなぁと感じる。


だけど、私はそれだけでは納得行かず、「悪い面」を含めた資質も見て、表裏一体だと納得したい。

つまりそれは、「悪い面」を含めた資質を含めた自分をまるごと「自分である」と納得したいと思っているのかもしれない。



・・・



なので、まず

1.内省から私の感じた悪い面を洗いざらい書いていこうと思う。


■私の感じた「内省」のデメリット

・考えすぎる。

・一人の時間を大事にし過ぎるときがある。

・あくまで「考えること」が目的なので、終着点がないときに考えてると、果てしなく思える。

・実行力に乏しい。



このように、自分から見た内省は、日常的にも良い資質と思える瞬間というのは、少なく感じる。




【自分の資質を"短所"ではなく、"長所"と捉えたい!】


自分の資質を短所ばかりに捉えてしまうのは、悲しくなる。

だから、これを解決したい!と思ったときに私は「良い資質だと感じる」成功体験を増やしたら良いのでは...?と思った。




私の好きなアドラーの言葉で

「事実など存在せず、あるのは捉え方だけ」という言葉がある。




SFは、診断によって出る資質なので"客観的な事実"を私たちに伝えてくれる。


だが、それはアドラーでいうところの"存在し得ないもの"だ。

ならば、SFの事実を"在るもの"にさせるのではなく、自身の捉え方のみを"在るもの"にさせるのが最善に思えた。


つまり、「良い資質だ」と感じる瞬間を増やし、そこでの捉え方のみを自分の中に存在させるということ。


そして、諸行無常に変わりゆく資質ならば、自分に必要な資質を手に入れることも可能なんじゃないかと思った。




・・・



そんなことを、きのうの会で考えていて、ひとりで面白かったので、みんなにシェアしようと思ってブログを書いた!(抽象度がたかい気がするので伝わらないかもしれないのだけど...!)


きのうは、企画してくれたマーチや参加者の皆ありがとう!ひとりひとりの話が興味深くて、すごくおもしろかった。また参加します!