昨日は、初めて定例会に参加しました。

ゲスト会の澤田さんの話もずっと興味深く、とても学びになりました!


ですが、今日書くことは、昨夜サディの話していたことです。

私の中で印象に残って考えていました。

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”働くこと”



一見すると同じ言葉なのだが、この言葉の意味合いは人の数だけある。

「お金を稼ぐ」
「自分の存在意義を感じるため」
「社会に貢献するため」
「遊んでいるのと同じ感覚」.....etc

↑のように一言でもいろんな意味があり、”働くこと”の意味合いを、私たちは各々の中に複合的に持ち合わせている。かつ、各々の割合も持っているんじゃないかと思う。



昨日のゲスト会で、サディが、

「お金の為に使う時間は、虚しい時間だなと思う。そうじゃない時間の方が楽しい。よく、漫画家の人でも、『原稿料の貰える仕事が欲しい。』っていう人がいるけど、そこに時間を当てるなら、”お金をもらわなくてもやってて楽しいこと”に時間を当てる方がいいんじゃない?と思う。」

といった感じのことを言っていた。(間違ってたらごめんなさい!)



ほんとうに、そうだなぁと思った。

仕事において、”お金を稼ぐ”という目的が入ってしまうものだが、その目的が入るからうまくいかなくなっていることって、多々存在するよなぁと感じた。

漫画家の話も、本当は好きなことをしているのだから、本来は楽しいはずなのだが、原稿料の貰える仕事を求めることで、”求められるものを書くこと”が前提となり、自分が書いていて楽しいものを書けなくなったりする。よって、理想と現実のギャップが生まれ、ジレンマとなってしまうのではないだろうか。

結果、原稿料はもらえるのかもしれないが、その過程のその瞬間瞬間は、本人の心から納得のいっているものではないのではないだろうか。

『結果ではなく、過程がすべて』とはよく言うが、まさにその通りなのではないだろうか。



今の私も当てはまるところがあるんじゃないかと思った。
結果を求めるあまりに、過程の重要さを見過ごしてしまっているんじゃないだろうか。

「”過程”において、今この瞬間をほんとうの意味で見つめられていないのではないだろうか。」

そんなことを思った。
もっともっと、”過程”の解像度を上げる必要を感じた。
”過程”とは、つまり”今この瞬間”もそうだ。



どこかで無意識に”お金のため”が前提になっている気がしていて、それに気づくと、今目の前の意思決定を、”自分の意思”として認めたくない気持ちになる。

今の私の状況としては、フィリピンで日本語の先生として働こうと思っていたのですが、コロナの影響から渡航が厳しくなったのはもちろん、日本語学校の業界的にも厳しくなり、”国内で働く”という選択肢を取らざるを得なくなり、今1つの会社で業務委託としてお試し期間で働いている最中です。


心の奥底では、”フィリピンで働く”という”本心”が消えないのですが、状況的に難しくなってしまいました。そんな中、決めた今の仕事が、果たして”お金の為”という前提がどの程度あるのだろうと考えると、少しモヤモヤします。

きっと、”今できること”としてフィリピンへ行って成し遂げたかった事に結び付くことをする必要があるのだろうな、と思います。それを、頭の中で整理できて尚且つ、実感も得られるようにしよう!と書いていて思いました。(笑)




今、この瞬間やれること・やりたいことを120%できているだろうか。
自分のありたい姿に誠実に生きられているのだろうか。


いつも、自分にそう問いていたいなぁと思った昨夜でした。☽