タイトルは、『だから僕は音楽を辞めた/ヨルシカ』という曲の歌詞だ。


私は、元ボカロPで現ヨルシカのn-buna(ナブナ)さんの創る音楽が好きで、n-bunaさんの紡ぐ言葉、ひいてはn-bunaさんの人生そのものが好きだ。


n-bunaさんの書く歌は、理想と現実のギャップを常に嘆いている。幼き頃の自分に感じた気持ちと、今の自分の中の矛盾についてだ。


心の有様をそのまま曝け出している代わりに、顔や姿カタチは明かさない。それも含めて彼らが好きだ。


n-bunaさんが『だから僕は音楽を辞めた』という曲で歌うのは、幼かった頃は、売れることなんて考えずに「音楽を創ることそのもの」に没頭していて、今の自分にはそれができない矛盾を歌っているように私は受け止めた。

そして、そのかすかに残る幼少の頃の感覚は、今よりもどこか美しいものだった気がしている。


「売れることこそがどうでも良かったんだ ほんとうだ、ほんとうなんだ」(僕は音楽を辞めた)

上の抜粋した歌詞は、当時を振り返って今のn-bunaさんが思っていることをよく表している。





─いつから、音楽の世界で売れることに囚われてしまったのだろうか。

きっと、n-bunaさんの『盗作』という作品にその答えがある。




〜 『盗作/ヨルシカ』 〜


「音楽の切っ掛けは何だっけ。

父の持つレコードだったかな。

音を聞くことは気持ちが良い。

聞くだけなら努力もいらない。


前置きはいいから話そう。

ある時、思い付いたんだ。

この歌が僕の物になれば、この穴は埋まるだろうか。


だから、僕は盗んだ」


嗚呼、まだ足りない。全部足りない。

何一つも満たされない。

このまま一人じゃあ僕は生きられない。

もっと知りたい。愛を知りたい。

この心を満たすくらい美しいものを知りたい。


〜〜〜



きっと、当時(恐らくボカロPを始めた中学生)のn-bunaさんの出した答えは、心の穴を埋めるには、「売れること」だと答えを導き出したのではないだろうか。


その答えを出した結果、これだけの人の心に響く歌を贈ってくれたn-bunaさんがほんとうにすごい。私の今生きている大きな理由のひとつが、「n-bunaさんの行く末を見届けるため」だ。この理由が加わってから、生きることも悪くないかもしれないと少し思えた。

n-bunaさんが生きるなら、私も生きてみようかなと思った。



「何者かになろうとしていた姿はとても美しいものだなぁ」とヨルシカに出会って、n-bnnaさんの曲を聴いてからすごく思う。


何者かになろうとするのも、その一瞬しかないものだ。

「そんな事実が"ただ"あっただけ」でしかなく、"ただ"在ったその事実を含めた人の人生や生きている様が私は美しいと思った。


私にとっての都合の良い見方は、「良い/悪い」でなく「美しい」と捉えることだ。





最近、夫の借金を肩代わりし続けた作家で御年96才の佐藤愛子のような人生を送っていた友人から聞いたアドラーの言葉を最後に。✍


「事実というものは存在せず、あるのは捉え方のみ」